石井 祖父が高知出身で、私自身は横浜出身、横浜育ち。高知大学医学部に進学し、初期臨床研修医として残りました。
伴 私の両親はともに実家が高知で祖父母もおり、自分の本籍も高知。高知で生まれて神奈川、東京、京都を転々とし、アイデンティティを求めて初期臨床研修で心のふるさと・高知に帰ってきました。
石井 18歳のときに事故に遭い、横浜市民病院の救急で一命を取りとめました。それをきっかけに医師を目指し、ずっと横浜市民病院で働きたいと思っていました。けれども、高知大学が私を受け入れてくれたこと、近森病院の先生が留年の危機を救ってくださったことを考えると、高知に残って高知のためにできることがあるのではないかと思うように。悩んだ結果、高知でより自己研鑽に努めたいと思い決断しました。
伴 青年海外協力隊を立ち上げた祖父の影響を受け、小中学生の頃から途上国に対する問題意識があり、その祖父の死をきっかけに医師の道へ。しかし、自分の気持ちを確かめるために学校を1年休んでアフリカに行き、そして途上国で必要なのは必ずしも日本人医師ではないと感じました。誰かのために何かをするなら、まず日本。日本の頑張る背中を見せることも国際貢献と考えるようになり、自分の中の「日本人」を意識するようになりました。高知は自分が生まれ落ちた土地。社会人のスタートも心のふるさと・高知で切りたいと思い、臨床研修の地に選びました。
石井 やはり、医師として患者さんにかかわれるチャンスが多いこと。地方の医学生が大勢都会に流れていますが、都会の病院は患者さんも多いが研修医も多いという状態で、なかなか診る機会がないようです。
伴 都会でも地方でも病院には患者さんがいてやるべき医療も同じ。私は首都圏で臨床実習をしましたが、大きな質の差は感じませんでした。
石井 僕たちは同期の研修医が40人ほどいて、8病院で研修しています。病院間の壁がなく、人も情報も行き来が活発です。よく飲み会や勉強会を行っていますが、それだけではなく、高知の臨床研修を盛り上げ「臨床研修をするなら高知」と言われるように、研修環境のレベルアップを図るよう活動しています。
伴 高知の初期臨床研修は、最初の2週間をオリエンテーション期間として、みんな一緒に研修するんです。それをきっかけに交流が始まりました。秋には石井くんが「コーチレジ」というホームページを作ってくれて、そこで意見交換をするようになって。今は一緒に高知の臨床研修を盛り上げていこうとしています。
石井 ホームページの掲示板ではいろいろな意見のやりとりをし、日々の研修で得たものをお互いに共有しあっています。ゴールは一緒だけど進み方が違うという感じです。
伴 二人で2倍、いや、2倍以上の学びがありますね。