最近、講演などでお話しする機会も持たせていただけるようになりました。医学に携わっていない一般の方に、どこから話すとわかりやすいか、どう話せば理解してもらえるかを考えます。週1回通っている特別養護老人ホームの介護士さんに病気のお話をしたり、支援センターの健康教室で糖尿病についてお話ししたり、福島から来たということで、被災地の話もしました。地域の方と一緒に在宅死を考える劇もやりました。
ここで私は、医師の仕事、社会福祉的な仕事、住民とのふれあいにかかわることができます。病院の外で、「医師」の看板が低くなったところで地域の方と交流がもてるのはとても楽しいです。病院の人たちは地域の人であることが多く、住民のみなさんの名前や生活をよく知っています。梼原病院の院長は常に「医者は病気を診がちだが、患者を診なさい」「健康な人とも仲良くなることが大切」と話してくださいます。大きな病院ではよく「肺がんの●●さん」という言い方をします。名前がわからなくても、「先月肺がんで入院していた人」と言えば通じることがあります。けれど、ここでは「●●さんが入院してきた。その人は肺がんだ」という考え方をします。だからこそ名前が覚えられるし、人がわかる。これが地域医療なんだと思いますね。地域で暮らす患者さんを、地域全体を巻き込みながらその人のベストを見つけていく。気持ちを聴いて患者さんと一緒に病気に向き合う。このような医者のお手本が身近にあって、幸せなことだと思います。
ここには救急も含め、老若男女いろいろな病気の患者さんがやってきます。バイク旅行の途中に転んだ人の治療もしました。患者さんを受け入れて、できることは梼原病院で、できないことは宇和島や高知市へ救急搬送するというシステムが整っており、高知のへき地医療の優れたところだと思います。高知県はへき地医療協議会が組織され、ローテーションによってへき地にも医師が配置されるように考慮されています。また、救急搬送が必要な患者さんは、必ずどこかの病院で受け入れられるよう多くの病院が前向きに対応してくださいます。患者さんにも、私たち医師にとっても安心で心強いことです。高知の医療は確かに医師不足の実情を抱えているようですが、勤務していて「あったかいなぁ〜」と感じています。
まだ1年を経過していませんが、来年もこちらでお世話になっていきたいと考えています。誰しも「よりよく暮らす」ことが一番で、病気がきちんと治っても、心が病んでしまっては、「あなたはもう治っていますよ」と言われてもいま一つ立ち直れません。専門で診てもらえばもっと治ったかもしれない病気でも、その人のペースに合った生活を送れたほうが、満たされ具合が違うのではないかと思うことがあります。病院や施設で亡くなる方が増えていますが、住み慣れたご自宅で最期のときを過ごす時間を診ることができるのも地域医療だと教えていただいています。もちろん、医師として「病気を診る」ということに関して、もっと研鑽を積まなければなりません。暮らしの中で患者さんやご家族の思いを聴き、ご本人にとってのベストを一緒に考えていく、そういう時間を共に過ごしていける医者になりたいと思っています。