県内の私立高校を卒業し、医師を目指して浪人。2浪の末、両親との約束で医学部を断念し、他の学部に進学しました。その後も大学に通いながら受験し、合格を果たしました。
医学部を卒業し、必修化2年目の初期臨床研修へ。中学生の頃から精神科を希望していましたが、ローテートにより最初に配属されたのが循環器科を含む第一内科でした。とても忙しく厳しい現場でしたが、指導医の先生にとても熱心にご指導いただき、得るものが大きかったです。その後、各科を回り、最終的にもっと学びたいと思ったのが第一内科でした。精神科医になりたいという気持ちもありましたが、精神疾患のある患者さんが体の不調をうまく伝えられるかどうかを考えると、症状から診立てることも重要だと考え、第一内科に入局しました。
大学時代を含む宮崎での14年間は、とても充実した毎日でした。「いずれ高知に帰る」という思いで過ごしていましたが、いつしか両親も歳を取り、数年前からUターンを具体的に考えるようになりました。しかし、ある人に「高知に帰っても就職がない」と言われ、インターネットで調べると、確かに医師の数が多く、「これは無理だな」と。身近に医療関係者がいなかったため、どうやって高知の医療情報を探せばいいのかわかりませんでしたが、いろいろ調べるうちに高知医療再生機構のホームページに行き着きました。求人の欄を見ると、条件に合う内科医の募集がなく不安でしたが、求職票を送ったところ担当のコーディネーターさんについていただき、4つの病院を紹介していただきました。高知県は医師の数は多いけれど、高齢の方が多く、医師の実数としては不足しているのが実態とのこと。力になりたいと思いました。
まだまだ勉強の途中だと思っていた私は、循環器の先生が複数おられる土佐市民病院を選び、愉しく勤務しています。
宮崎大学附属病院や関連病院でみっちりと循環器内科の仕事をしていたのは初期研修医時代を除くと6年間です。まだまだ「循環器の専門です」とは言えませんが、患者さんは「治してほしい」という期待を持って来られています。わからないことは自分なりに調べ、上の先生方にお聞きして、なんとか期待に応えたいと思っています。
また、大学病院と市中の病院では、患者さんへのアプローチの仕方が異なり、市中病院では患者さんに病気への関心を持っていただくことが重要だと感じています。できるだけ専門用語を避け、わかりやすい言葉で丁寧に説明するよう心がけています。
私はまだ、患者さんを「治してあげられた」と思ったことがなく、治療がうまくいったときには「よく治ってくれた」と思うんです。治療には必ず患者さんの「治りたい」という気持ちと治療を乗り越える体力がないと治りません。
看護師さんの力も絶大で、医師がいない間ずっと看ていてくれるのは看護師さんです。朝は必ず看護日誌を見て、患者さんの状態を頭に入れてから回診に行きます。基礎を支えてくれる人たちとともに、よりよい治療を目指したいと思います。