こうち医師ウェルカムネットニュース - Vol.10
 八丈島出身、高知医科大学卒業の川瀬史愛先生。都市部の総合病院で経験を積んだ後、地域医療について学びたいと考え、縁のある高知へ。高知の医療の「最後の砦」である高知医療センターで、「高知の女性たちのためにできることを」と日々奮闘しています。「将来は、八丈島で産婦人科医をやるのもいいなぁ」と話す川瀬先生に、現在の思いを伺いました。

高知医療センター 婦人科 川瀬 史愛先生(東京都八丈島出身)
[プロフィール]
2001年3月 高知医科大学(現:高知大学医学部)卒業
2001年4月 船橋二和病院(千葉県)入職
2004年9月 同院 産婦人科 科長
2017年1月 高知医療再生機構 職員
2017年3月 高知医療センターへ派遣 婦人科非常勤医
2021年4月 高知医療センター 婦人科 婦人科主任医長
[資格]
日本産科婦人科学会 産婦人科専門医、母体保護法指定医
女性のヘルスケアアドバイザー

人生2度目の高知暮らし

 私は八丈島で生まれ育ち、高校進学を機に横浜で暮らしました。メディカルソーシャルワーカーの叔母の勧めで医師を志すようになり、「寒いところは嫌だ」と思って、高知医科大学(現・高知大学)に進学しました。
 卒業後は、千葉の船橋二和病院に15年間勤務しました。24時間救急を受け付ける二次医療機関で、お産も手術もたくさん経験しました。
 都会の医療現場で働くうちに、へき地医療も学びたいと思うようになり、学生時代を過ごした高知でキャリアを積むと同時に、恩返しができればと考えました。高知医療再生機構に連絡して職員として採用され、2017年から機構が派遣する非常勤医師という形で高知医療センターに勤務しました。
 千葉の病院で担当していた患者さんのことも気がかりで、2021年の3月までは千葉と高知を行き来し、両方の病院に勤務していました。しかし、コロナ禍で移動が難しくなったため、千葉の病院を退職。2021年4月からは高知医療センターの正職員として働いています。

女性の心と体をサポートしたい

 私が産婦人科医を選んだのは、外科に興味があったから。当時はストレート研修が主流でしたが、船橋二和病院はスーパーローテート研修を行っていました。いろいろな科を回る中で、手術がおもしろいと思ったんです。産婦人科は扱う臓器が2つなので覚えることが少なくていいんじゃないかという発想もありつつ(笑)、赤ちゃんを取り上げ、幼児期から終末期まで人の人生全般に関わっていけることにやりがいを感じました。女性の身体は常に変化し、それぞれの年代で悩みや問題があります。診る領域が広くて、いろいろなことに関われるし、さまざまな働き方ができるのも魅力です。
 高知県は産婦人科が少なく、気軽に受診ができるような環境が整っていないため、高知医療センターに紹介されてきた時には、病気がかなり進行しているケースも少なくありません。治療を終えても戻る病院がないという深刻な課題があります。ここでは専門的な知識を持つスペシャリストも必要ですが、私の原点は地域医療。忙しい先生をサポートしながら、女性のQOLを上げることが私の仕事です。今は婦人科を診ることが多く、もう「子宮をのけるんだ」と決めてしまっている患者さんに他の選択肢もあることを説明したり、正体のわからない体調不良に悩む患者さんに伴走しながらいい方向を探ったり、よりよい医療を提供するという意味ではとても充実しています。
 若い人の指導を兼ねて手術に入ることもあり、人を育て、産婦人科医を増やしていくことも私の役割だと思っています。

楽しく働きながら、高知県に恩返しを

 現・高知医療センターの副院長林和俊先生は、かつて高知医科大学附属病院産婦人科の医局長でした。大学時代に「地方の大学で学ぶ君たちは、地域への貢献を考えなさい」という教えを受けました。当時は、関東圏に帰ることを当然のように考えていましたが、その言葉がずっと心の中にありました。その林先生と一緒に働くことになるとは…。ご縁ですね。ここで恩返しができることをうれしく思います。
 今は安芸市に住んでいて、車で45分ほどかけて通っています。漁港のある風景が八丈島と似ていて、落ち着くんです。高知は食べ物がおいしくて、シュノーケリングやラフティング、SUPなど遊びもたくさんあって、県外からの友達を連れていく所にも困りません。
 こんな高知に、一人でも多くの産婦人科医が来てくださることを期待しています!